心の座標軸

藤井経営の藤井武です。

先週、高知県へ出張しておりました。帰りのフライト前に訪れた、高知城天守閣から見下ろした高知市内の景色は、プライベートで訪れた数年前と変わらず、戦国、安土桃山、江戸時代初期の動乱と幕末の激動を想起させ、日本史を賑わせた土佐の英雄について物語りたくなるような素晴らしいものでした。

さて、今回は稲盛和夫さんのお話しを紹介したいと思っています。
稲盛和夫さんの略歴は言わずと知れておりますが、素晴らしい人間性をお持ちの経営者です。稲盛さんの著書も何冊か読んだこともあります。ベストセラーがずらり、ですね。
稲盛さんの言葉に、「心の座標軸を定める」というものがあります。「判断基準」、または「哲学」、「考え方」と言い換えられるものです。
稲盛さんが「京都セラミック」を設立して独立した時、稲盛さんを慕ってついてきた同僚や新たに採用した社員で自分のことを信じてくれている人から、様々な事案について相談され、これはよい、それはだめだ、など「判断」求められました。10の判断が必要な事案で、9つまではいい判断ができたが最後の1つの判断を誤ったことで、すべてが水泡に帰すこともあるので、物事の判断とは大変な責任を伴うものです。
判断基準をどこに置くか、稲盛さんが見出した方法は、「人間として何が正しいのか」という座標軸を持つことでした。これまで生きてきた中で教えられたこと、経験したことを通して得た「人間としてやっていいこと、やってはならないこと」を「心の座標軸」に据え、経営を行ってきたそうです。

達観した見識を得るには、それ相応の「修行」が必要であると思います。
独立までの間に身に着けた知識・経験に裏打ちされた、他人に簡単にまねできない「心の座標軸」は、稲盛さんだからこそ構築できたものです。まねる事など、できはしません。
私なりの「心の座標軸」は、定まっている、などと言えるレベルではありません。
大経営者の背中は、とてつもなく大きく広い、と感じました。