藤井経営の藤井武です。
昨日、関東南部の東京や神奈川では激しいゲリラ豪雨に見舞われ、都市機能が麻痺しかねない状況の様でした。
9月になり秋雨と台風の時期になりますが、ここ最近の気象状況の異変は驚異的であるので、防災に関してしっかりとした知識や気持ちの準備をしておくことの重要性を再認識しました。
さて、孔子の言葉に、
吾れ十有五にして学に志ざす。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳従う。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。
とあります。
非常に有名な文言ですね。
この中で、「四十にして惑わず」は、世の中の道理が分かり自分の行動に迷いがなくなった、と言う意味であると教えられました。なるほど人生の折り返しまでくると、酸いも甘いも理解できると言うことなのでしょうね。
実は「惑」という字の意味の取り方で、この有名なフレーズの解釈が異なる様です。「惑」は「或」であると言う主張があります。
「或」は区切るの意味で、「四十にして区切らず」と読むのが正しく、これまで達成した成果に満足し、自分という人間にそれなりの自信もあるのかもしれないが、それにこだわりすぎず、新しい可能性を否定することなくチャレンジし続けることが大切だ、と解釈する様です。
自分の殻に閉じこもらず、常に新しい考え方や物の見方を追い求めることの大切さを教えられます。自分の経験や実績を鼻に掛けず、謙虚な気持ちを持ち続けることで、知らず知らずのうちに出てしまう慢心を防ぎたいものです。
私も四十を過ぎてしまいました。教えを受ける立場だとばかり思っていましたが、いつの間にか教示する側になっており、新しい解釈での孔子の言葉「四十にして或らず」の意味をしっかりと心に留めておきたいと思います。