上毛労務 薗田直子です。
この夏、久々に本の断捨離に取り掛かった。処分するのは殆ど文庫本だ。
どちらかというと、じっくりと本を楽しむというよりをサラっと読むことが多い。いわば嗜好品的な感覚だ。主人公の名前もしっかりと覚えないまま字面で判別し読み終えること度々。なので、かなりの本を読んでいるはずなのに、残念ながら語彙が乏しい。
入替戦に何度となく勝ち残る二十年選手の本もあれば、上下巻の「下」だけ同じ本が3冊あったりと、断捨離作業もアレコレ楽しい。
ハードカバー何冊かはメル〇リに出し、残り段ボール3箱200冊ほどはネットの古本買取ショップへまとめて送った。先日戻ってきた査定額・・・200冊で新書1冊分。平均は1冊5円、値段がつかない本もあり、少しがっかりした。
今、執行部のメンバーで1ヵ月に1冊共通の本を読み、互いの感想を伝えあっている。
「エッセンシャル思考」「韓非子」「7つの習慣」「貞観政要」・・・自分では選ばない本を読む機会にもなっている。
誰かに伝えることを前提に本を読んでいるので、いつもの「サラっと読み」ではなく、気になったところに付箋をつけ、咀嚼して読み進めている。他のメンバーの感想を聞くと、自分ではまったく気に留めてなかった箇所が思いかけないエピソードで取り上げていたり、同じ箇所であってもどう解釈するかが違っていたりと、一冊の本から見えてくる景色が広がってくる。自分一人で読むより、明らかに印象深い一冊になっている。
サイバーエージェントの人事マンである曽山哲人氏は、「本を読むのではなく、見る」として週に5~6冊の本を仕分けた上で、読むべき1冊をじっくり読んでいる。
最近、もう一回読みかえそう、という思う本が増えてきた。自分の「読み方」を変え、違う景色がみえてきたからだと思う。
本の価値は変わる。
見方や捉えかたによって全く違う価値になってくるのは、きっと本だけではないだろう。